水 - 1月 25, 2006ホームトレーダー最近の東証のジェイコム上場で20億円稼ぎだした若者の話題がありましたが、株をやってる人の特徴は...
最近の東証のジェイコム上場で20億円稼ぎだした若者の話題がありましたが、株をやってる人の特徴は昔から変わりません、今日はその個人投資家のお話。
私がまだお勤めをしてた頃にも、私の回りでもで株をやってる人が沢山居ました。今でこそ自宅のパソコンを屈指して日がな一日売買を繰り返すデイトレーダーが一般的になってますが、まだパソコンも普及してなくって、当然インターネットなんてものは存在しなかったバブル時期にも、株で儲けようって素人投資家の生息数はそれこそゴキブリ並みでしたね(笑) その当時の素人株屋と今のトレーダーでは扱い金額も桁違いですし、株の売買する間隔も全然異なっていましたが、どちらにも共通する特質が明確にあると思います。 それは「一日中株価が気になって他の事が手に付かない」って事です。 さすがに今と違ってパソコンに一日張り付いている訳にはいきませんが、市場の開いている間は、仕事中でも短波ラジオのイヤホンを耳にねじ込んで、株価速報を隠れて聞いているってのが一般的な状況でした。とにかく株価が気になってなにも手に付かない、昼休みは食事もそこそこに証券会社のロビーへ行くって生活の方が身近にも何人も出現した時代でした。 さて、ふと考えてみると、私の子供の頃にも株をやってる人は結構居て、私のおじいちゃんも戦前から数社のの株を持ってたりしたので、株への投資自体は特別玄人だけの物ではなかったと思いますが、別段株価が気になって仕事が手に付かないって人も見かけた覚えが無かったんですね。でも、なぜかバブルの時期からそういった「そわそわ組」を良く見かけるようになったんですが、これには何か訳があるんじゃないかって事で考えてみました。 考えるに、これまでの株を買う動機ってのは、基本的に長期保有での配当や値上がりを考えての事で、資産もあって資金面での余裕もある階層が、企業の創業時などに購入して保有し続ける場合も多く、大手の場合は系列同士の持ち合いの慣習もあって、実態としての市場の流通量もバブル前に比べれば少なかった事でもあり、短期的な値動きにあまり敏感にならなかったのではないかと思います。 しかし時代はバブル期、それまで平穏無事で緩やかな上昇を続けていた株価も、オイルショック、ドルショックを経験して、大きな値動きでの利益の旨味を経験して、インフレと共に株価も一本調子での上げ基調、何買っても名目上は利益が上がるけど、インフレも進んでるんでそれでは儲からない。そこでその上り基調の中からも循環的な株価の波に注目しての、波の変わり目での売買で利鞘を稼ぐ手法も一般的になって来て、さらに割安感のある株を買って、短期で売却して小額の利鞘を稼ぐ手法も浸透して来て、企業内にもトレーディング部門が続々登場してきた時期です。 そこにさらに強い味方が登場、それは「日経の提供するオンライン株価表示システム」でした。まだまだ大企業の資金課にしか入っていなかったこの様なシステムも、バブル後期には企業向けパソコンの普及に伴って中小企業の経理課や、個人投資家の家にまで進出して来たわけです。 このような状況でも、実際の売買は先進国のようにコンピューター化されているわけでもないので、証券会社を相手にして相対で取引をしていた訳ですが、ここで出て来たのが「相乗り」って状況です。つまり、会社がもってる情報資産を使って、仕事としての取引に、自分の投資も相乗りして儲けさせて頂こうって手法です。実際一般企業のトレーディング部門なんて、一番地味で保守的な経理課の中に、時流に乗って儲けろってトップの鶴の一声で作られた素人の集まりがほとんどだった訳で、結局は証券会社の言いなりになっちゃてる事が大かったんですね。それでもそれなりに利益を出しているのを、さらに周辺の社員が見て、それに相乗りして行くって構図で、社内に居るのは実質証券会社の言いなりの手先ばっかりって会社もありました。 インサイダー取引がいまほど罪悪視されていない時代(っていうかインサイダーばっかり)でしたから、この辺りの人間をコントロールして、社内情報もしっかりと引き出していたのではないかと思います。 さらにその回りの一般の人達に至っては、投資はバブリーに膨らんだ「ボーナス」だけが資金源でした。そのボーナスを支給された日から、住宅ローン引き落とし日までの2ヶ月に短期利益を狙って投資するって人も多く、決済日が近づくにつれて、値動きが気になって仕事も手に付かないって状況でした。 それでも当時はバブリーな時期、森ビルがアークヒルズ(ヒルズの元祖)を建設開始する説明会で、当時の社長がこれを建てる目的を語るには、大型コンピュータの広帯域ネットワークを備えたオフィスビルにホテルのようなサービスの付いた住宅を合体させて、日中はオフィスで為替や株や先物のトーレディングをするトレーダーを上に住まわせて、夜でも朝でもいつでも値動きをチェックできるような、まるでニューヨークの様なオフィスを狙ってるんだって言ってましたが、そのお手本のウォールストリートでは、トレーダーは精神を病んで、コカインを常用して自殺率も高いって事を知らなかったんだと思いますね。 で、現在、売買手数料も当時に比べれば格段に安くなり、ネットでの自身での売買が可能になり、機関投資家の売買の隙間を縫っての短期売買での利鞘稼ぎをするデイトレーダーが大量に活動しています。しかしこのデイトレーダーの投資額が機関投資家に匹敵するようになった現在では、皮肉な事に企業の将来性や収益などには全く考慮をはらわないデイトレーダー自身の特徴が株価形成に色濃く反映されて、株価が敏感に反応して乱高下しやすくなってしまいました。 おかげで、私の知り合いのデイトレーダー諸氏は、株価ミニバブルの現在ですから、それなりに利益は上げていますが、もう全くお仕事が手に付かない状況になっちゃってて、多くは仕事も辞めて家にこもってディスプレイだけを見つめている生活になっちゃってる訳です。 投稿時間 12:50 午後 火 - 10月 18, 2005ソニー帝国の真実いまや落日のソニーですが、再生の日は来るのでしょうか?
ついこの間まで、日本型経営の成功例としてもてはやされていたソニーですが、今や大企業病の典型としてその再生が注目の的になるとは誰も思わなかったと思います。
しかし、仕事でも個人的にも色々と内情を知っている我々にとっては、この日がいずれくるであろう事は、予想された事でした。 実はソニーという会社、大変良い会社でしたが、その特徴は一言で言えば「主流保守的、傍流革新的」で「主流失敗、傍流成功」であります。なんだそりゃってお思いでしょう?説明しますが、つまり会社が狙って開発の主流とした製品は技術に革新があっても製品のコンセプトが保守的であまり成功せず、逆に社内で冷や飯くわされてた傍流の開発商品が大ヒットして会社を支え、しかしそれが本流になると守りに入って保守的になってしまう、というのが以前からのパターンの会社なんです。 実際の例を上げれば、今から35年位前には、テレビのソニーの影も形も無く、営業も研究部門も「オーディオのソニー」を標榜していて、テレビなどはだれも主流商品になるとは考えてもいませんでした。しかし、勝手になにか研究する事が出来た傍流の存在を許していたので、傍流だった「トリニトロン」が主流になる日が来る事になった訳です。民生機だけじゃなくってこのトリニトロンがコンピューターディスプレイや業務用モニターではハイエンドを支配していた時期もあったんですね。 さらに言えば日本の歴史的名器「ウォークマン」も、「録音出来ない」、「単機能」、「持ち運んでも一人でしか聞けない」機械なんて絶対に売れないって社内では散々だったこの商品が爆発的にヒット、たおかげで「ウォークマンのソニー」となったのは有名な話です。 さらにパソコンのVAIO、実は創業者がコンピュータを嫌い(実は松下も同じでした)、コンピュータ開発には大きな遅れをとったソニーですが、あるいみ玩具として名目をつくって発売した8ビット機「SMC−777」のおかげで実力を付け、主流を騙して発売したUNIX機「NEWS」の思わぬ成功、OEM生産を始めたマッキントッシュ関連部品および、マックポータブルや初代PowerBookなどのおかげで磨いた実力で傍流として発売したVAIOはスタイリッシュパソコンというジャンルを作り出した訳です。 いまだに会社の主流としている「プレイステーション」に至っては、もう本当に傍流も傍流で、あるいみ全く異なった会社として発展していった「ソニーコンピュータエンタテインメント」は、当時ゲーム機の主流だった任天堂のファミコン帝国に挑戦すべく、自由な開発販売環境を売りにして設立された会社でしたが、さんざん主流からのいじめに遭いながらも、大成功をおさめると、とたんに主流に取り込まれてしまい一気に保守化、いまや任天堂にも劣らぬ帝国主義的な開発支配体制をとっている状況です。では上に掲げた「傍流ー>主流」の商品はどうなったのでしょうか? トリニトロンTVはその高性能にあぐらをかいていたおかげで、三菱のダイヤモンドトロンにその席を奪われ、さらにLCDディスプレイ軽視がいまや取り返しのつかない状況を生んでしまいました。 ウォークマンはテープからCD、さらにはオーディオ主流の開発したMDにこだわるあまりと、自社内に取り込んだはずの映画音楽産業に逆にマインドコントロールされてしまい、結局iPodとiTunesの組み合わせで乗り込んで来たAppleに完全に負けてしまいました。本来ならソニーミュージックエンターテイメントを傘下に持つソニーがやるべき仕事だったのに、逆にソニーミュージックエンターテイメントのコンテンツ囲い込みに乗ってしまって、まったくの失敗を味わってしまいました。 パソコンやワークステーション、NEWSは革新的な価格付けとマークカーネルを採用したNEWS OSのおかげで一時は大変よくう売れていましたが、開発の怠慢とソフトの継続性の問題で終焉、パソコンも価格の割に品質に問題があった事もあり、いまや全くの負け組入りです。さらにビデオでのβの敗北、業務機では世界を制覇していたベータカムもデジタル化に乗り遅れて松下に大負け状態なわけです。結局ソニーには「今もちょっとだけ未来」も見えない大企業病の無い社だったわけですが、テレビなどで「ソニーはマーケットの望む事が判っていない」って批判しているのを見るとそれは違うって思います、ソニーが本当にやるべき事は、創業者の盛田さんの言葉「アイデアの良い人は世の中にたくさんいるが、良いと思ったアイデアを実行する勇気のある人は少ない。 我々は、それをがむしゃらにやるだけである。」のなかに全て著されているとおもいます。 投稿時間 05:40 午前 金 - 6月 17, 2005黄昏一つには犬のクロさんのためで、実は数年前まではほとんど自宅で仕事をしていた事もあり、夕方になればクロさんを連れて…
最近はなるべく夕方までに仕事を一段落するようにしているのには理由があります。 一つには犬のクロさんのためで、実は数年前まではほとんど自宅で仕事をしていた事もあり、夕方になればクロさんを連れて近くの川の河川敷の草原に行き、近所のおばさん達に(たまには若い子もいたけれど)連れられてくる犬達とクロさんを遊ばせながら、飼い主同士肩から力の抜けた会話を楽しんでいるのが日課になっていて、それはそれは寛いだ時間をすごしていたものでした。 ところが、ここ数年の仕事の状況はクロさんのささやかな楽しみを奪ったままになっていて、それでもクロさんは仕事に出た先で毎日ほんの10分ほどのお散歩で文句も言わず元気にお仕事につきあってくれています。でもね、クロさんももう11歳、元気に歩けるのももう数年です、犬の寿命は短いので、昔ほどの時間が取れなくても、自然の中ですごす時間を大事にしたいと思うからです。 さて、もう一つのもっとも大事な理由は.... 私が夕暮れが好きだからです。(きっぱり) べつに早く帰ってなにかしようって訳ではないし(夜は家で仕事してるわけだし)、まあ、人によっては早朝の散歩やジョギングの時が一番爽快だって事もあるでしょう。でもね、私の場合は夕暮れの風景が好きなんですね、クロさんと一緒に歩く夕暮れの自然の中も好きだし、見知らぬ街の夕暮れの中を孤独を感じながら彷徨うのも好きだし、いずれにしろ、世間の皆様が家族の待つ家や仲間の待つ酒場に道を急ぐ中、行く当ての無い私とクロさんはゆったりと佇んでいるのが好きなんですね。 投稿時間 01:05 午前 火 - 7月 20, 2004世界の見方私は常々人間というものは2種類に分類できるのではないかと思っています。こう言うとなんか差別的な話と思われるかもしれませんが、そういった話ではありません。ここでお話するのは人々の「世界の見方」、つまり「世界観」の事です。世界観、つまり「世の中の仕組み」の捉え方、「自分自身が置かれた立場の理解」、そういった事についてです。
具体的に言えば、人間は「うまい話がある」と思っている人々と、「うまい話なんてない」と思っている人々の2つに分ける事が出来ると言う事です。 ではまず「うまい話がある」と思っている人々、さらに詳しくいえば「世の中には自分の知らない所で、うまい話があって、自分はそれに関われないでいる」と思っている人達についてです。 この人達は、「世の中の全ての事は、裏で美味しい取引が存在していて、仕事も勉強もすべてそういった裏取引で決定されていて、自分はいくら真面目に努力しても、そういった裏の取引に参加出来ないので、成功できるはずはない、だから努力することには意味が無い、そういった裏の仕組みに参加出来ない自分は初めから公平な扱いをされていない」と思っている人々です。こういった人は残念ながら日本のサラリーマンに多くみられるタイプなのではないでしょうか。居酒屋でのおじさん達やOLの愚痴を聴いていればこの辺の事は良く理解出来るとおもいます。また、非行に走った少年や、犯罪を犯した人が必ず主張する理論でもあります。私の身近な例を見ても、このような考えが植え付けられるには、幼少期の親や教師などの周りの大人の考えが大きく影響しているように思います。 実際、親が常々こういった考えを子供に対して言っていて、子供の未来への希望を潰されて育った人達は、親達と同様の考えを持つにいたる事になるようです。 そのような人達は仕事でも、成功している人や評価の高い人に対して、努力と実力でそうなっているとは考えず、なにか裏取引でそうなったと考えて、敵対心を持って接します。そうして自身もどうせ評価されない仕事の努力をするよりも勝ち組の上司を探して、うまく勝ち馬の乗る事ばかり考えています。しかし実際には差別されていて勝ち組に入る事は出来ないと思っているので、仕事の出来る人は全て敵扱いとなり、仕事の出来ない人は差別されている仲間と考えています。 またこのような人達は、簡単にだまされてしまいます、なぜなら世の中は絶対裏のおいしい仕組で成り立っていると思っているので、うさんくさい儲け話を持ちかけられると「ははーん、やっぱり、そんなおいしい話があるんだ」と簡単にだまされてしまうわけです。 さて、もう一方の「うまい話はない」と思っている人達は、どちらかと言えば少数派です。この人達は、「誰も理由も無く便宜や利益を得る事は出来ない、結局は自分でなんとかするしか無い」と思っている訳で、前述の人達を使っている会社の経営者や、スポーツ選手、手腕を発揮する事業家、戦場でも活躍するボランティアなど、あと、悪い例かもしれませんが、前述の彼らを騙す側の人間、詳細な計画を立てて、「うまい話に乗って来る人達」を使って悪事を働く黒幕、権力を背景に利権をむさぼる政治家などもこちらの側です。この話を読んで、「えっ、それじゃ結局うまい話はあるんじゃないか」と思った人、それは間違いです、これらの人達はうまい話に乗るんじゃなくて、うまい話を自ら創造していくのです。善悪の是非は別として、努力する事、自らの道を切り開いて行く事、自らの未来は自らコントロールして行く意思、これらを持っている事が「うまい話はない」と思っている人達の特徴です。 また、これらの世界観の違いが、彼らが普段から注目収集する情報の内容に決定的な違いを生んでいるのです。 貴方が仕事仲間や部下について考える時に、彼らの性格などよりこの考え方について注意をはらった方が、彼らの行動パターンについてより重要な情報を提供してくれることでしょう。 むかしから言うんですよ、「大きな悪事は小さなことからこつこつと」ってね!(笑) 投稿時間 07:12 午前 木 - 7月 8, 2004ニッポン野球の本質ほら、旬のネタを書く事もあるんですよ。
さて、最近世間をにぎわせている、球団合併、1リーグへの移行の問題の本質は何かというお話です。 今回の騒ぎを見ていて誰もがおかしいと感じている事は、あそこまでファンを無視したオーナー達の目指す1リーグ体制とは何なのかということです。それを理解するには日本のプロ野球の成り立ちから考察する必要があります。もともと日本には当然ながらプロ野球は無かった訳で、戦前も野球は大変盛んなスポーツでしたが、その当時の野球と言えば「学生野球」でした。戦前に大阪朝日新聞の主催で始まった「全国中等学校優勝野球大会」が大成功を納め、それに習った新聞各社もそれぞれ野球関連の大会を主催するなど、野球人気を煽りそれによっての部数拡大をもくろみ、実際かなりの成功を収ていました。当時、朝日の中学野球、毎日の都市対抗野球の成功を見た「読売」は部数拡大を目的に大リーグをアメリカから招いて「日米野球」を開催を企画、そのために急遽「大日本東京野球倶楽部」を結成し2回の「日米野球」を開催しましたが、これが読売拡販としてなかなかの成功を納めたので、「朝日、毎日のアマチュア野球」に対抗しての「読売主導でのプロ野球」の創設に向かい、「巨人軍」を結成した訳です。しかし「巨人軍」だけでは試合は出来ないので、「読売」のお誘いに乗って球場までの足で稼ぐ思惑のある電鉄会社(阪急電鉄、阪神電鉄など)が「巨人軍」のお相手チームとして結成参加して「プロ野球」が発足した訳です。ここで「読売」にとって拡販の武器としての「巨人軍」(最近までかならず読売の拡販団は巨人戦のチケットを活用してたでしょう)の完成と、おこぼれ頂戴の他のチームによる「ニッポンのプロ野球」の構図が完成した訳です。さらに面白いのは「巨人軍」の名称です、なんたって唯一「軍」の文字が入ってます。これは大変不思議な事です。それは戦時中の「読売」の軍国政策迎合としての「野球報国」戦略の結果、適正スポーツである野球用語の読み替えのひとつとして捉える向きもありますが、やはり本質はその生い立ちから来る対米の神軍としての「軍」の部分が、戦時中の対米への読み替えとしての「軍」となり、その唯一の正義性と正当性を象徴するもの(隠されたシンボル)となった訳です。 実際戦後に民衆に熱狂をもって迎えられたスポーツは、野球にしろプロレスにしろ、正義の味方と悪者の戦いとして捉えられていて、力道山は正義の味方、外人レスラーは悪者、巨人軍は正義の味方、その他の球団は悪役という構図が出来ていて、そこでは必ず正義の味方がかならず勝つ訳で、そのため勝ち組に乗りたい一般大衆はほぼ正義の味方側を応援した訳です。ここで「ほぼ」とした訳は、野球に関しては悪役になるはずの、その他の球団にも地域に根ざした熱狂的なファンがいた訳で、当然「阪神」や「中日」などをそれぞれ応援していたのですが、当時は球団の本拠は本州の大都市だけに限られていて、全国的には明らかに「阪神」も「中日」も悪役として受け取られていました。結果そのころから最近までは、野球ファンの大部分は明らかに「巨人ファン」であり、その大部分は野球選手の名前もろくに知らないで応援する、正義の味方の応援団だったわけです。この体制では、他球団は絶対に巨人の優位に立つ訳にはいかない訳で、オーナー達はその点はよ〜く解っていた訳です(とくに大洋などはね)。 ところが、この絶対安泰に見えた「巨人中心」の野球王国の体制も、パリーグの成立と、後年、セリーグでの拠点確保に失敗し、その野望をもうひとつの王国を築くことに向けた「堤西武」の参入で、本来の「巨人戦」依存体質の温存で成立している「セリーグ」と、巨人依存から離脱して行こうとする「パリーグ」の分離体制となり変化してきました。ところが各球団の経営が、創立当時の新聞と電鉄から、他企業に移るにつれ、球団の存在目的が曖昧になって行き、不況とも相まってその採算性に目が向くようになり、経営陣には「読売巨人」からの「彼らの言う所の正常な体制」つまり「巨人中心の一局集中体制である1リーグ移行」が浮かび上がって来た訳です。当然初めから巨人絡みが狙いだった「西武」などは諸手を揚げて賛成な訳です。しかし、かれらの大きな誤算は、ファン層の変化に気付いていない事です。いまの50代以上のファンとは違って、若いファンは毎週お約束の結果になる「水戸黄門」型の勧善懲悪に擬した試合を見に来る訳ではありません、今球場にわざわざ足を運んでくれるファンは本当に野球好きの地元チームを応援する人達なのです。この変化はやはり「サッカー」の普及と無関係では無いとおもいます。「読売」はその辺の事を全く理解せずに「Jリーグ」においても「ヴェルディ」を舞台に野球と同じ構図を描こうとして大失敗していますが、本家の野球においてもすでに時代が変わっている事にオーナーの誰もが気付いていないのが全く滑稽です。大相撲で大鵬が、野球で巨人が、プロレスで力道山が活躍した正義の味方の時代は遠い過去になっているのです。 この事に絡んでサッカーのブログにこんな記事 がありました。 またこんな記事も 見つけました、参考になります。 投稿時間 08:37 午後 土 - 6月 26, 2004機械式![]() 機械式と言えば「時計」の事です、私が普段使っている腕時計は「手巻き機械式」や「自動巻」の時計で、すでに20年以上にわたって使い続けている物ばかりです。これを言うと、少し前までは「今はデジタル式の時計が安く買えるのになんでそんな物してるの?」って必ず言われました。最近は「腕時計なんかいらないでしょう、携帯の画面に時刻が出ているから」っていって時計を全く持っていない人を多く見かけます。しかし、こういった人とは別に、腕時計を愛用している人はほとんどアナログ針の時計をお使いになっているようです。ではなぜ携帯の画面の時計があるのにわざわざアナログ表示の腕時計をしているのでしょうか。それは「腕時計」がすでに「成熟した製品」だからです。たとえばあなたが音楽家だったとして、「新しい形のバイオリン」や「新素材のバイオリン」を欲しがりますか?欲しいのは「良い素材で」、「良い腕の職人さん」が作った「良い音」の楽器でしょう。
また、貴方が女性であれば、貴方が欲しいバッグは「良い素材」で「良いデザイン」で、「良いブランド」のバッグに違いありません、別に月探検隊なわけではありませんから最新の機能の新素材のバッグが欲しいわけではないでしょう。 つまり、「成熟した製品」とは、それが持つ機能はすでに必要にして十分なレベルに達していて、製品を選ぶ自由度が大きく、基本的には「単機能」であり、それゆえにその物の持つ「機能美」が明確に感じられる製品であるという事です。 我々が何かの製品を選ぶ行為とは、積極的にしろ、消極的にしろ、選ぶという「自身の判断基準」を外部に対して明確に表明する事になり、そうやって選ばれた物は結局その人の「ライフスタイル表現」の一部となるわけです。 ゆえに「成熟した製品」は、持ち主の「ライフスタイルの基準」をあらわすためのサインとしての位置づけを持っているのです。私が持っている「機械式腕時計」に惹かれる理由は、機械式という既に完成を見た構造であり、なおかつ十分な精度を得るための洗練された設計と品質を持つ製品ゆえに惹かれるわけです。間違ってはいけません、私は保守的な懐古趣味が良いと言っているわけではありません。私は実用性を無視した製品を選んでいるのではありません、実用性を機械式という手段の中で誠意を持って製作されている物のなかから、自分のライフスタイルに合った「クロノグラフ」を選んでいるのです。その辺の事をを理解していない無能な技術者が、テレビ付き腕時計や、腕時計型電話、さらには電子マネー機能付きの安物デジタル腕時計などの多機能を売りにした製品を作っても、誰も使わないのはわかりきった事のはずです、だってそんな物恥ずかしくって着けてられないですよ。 投稿時間 11:08 午前 木 - 6月 24, 2004豚丼弁当(並)戦線、勝利者決定!今回は、かる〜い話題です。
豚丼戦線の勝利者を勝手に決定してしまおうという、まんま飲み屋の話題です。 じゃじゃじゃじゃ〜ん、それでは「優勝者」を発表いたします。 優勝は「すき家の豚丼」です、おめでと〜。 正式な順位は以下の通りです。 1位:すき家の豚丼弁当(並) 280円 2位:松屋の豚めし弁当(並)290円 3位:吉野家の豚丼弁当(並)320円 とこうなりました。 こうなりましたって言っても納得出来ない方もいらっしゃるでしょうが、これはあくまで「私」と私の 「友人」数人の独断的な評価に基づく独断的な決定ですから、だれにも文句は言わせません。さて、牛丼の突然の降板に伴いピンチヒッターとして突然登場した豚丼ですが、各社の考えの違いにより、味、盛り、価格に違いがあります。そこでお弁当として数週間にわたって各店の弁当を各々最低3食は食べ続けた結果、このように判断いたしました。 では簡単な講評を、 まず1位の「すき家の豚丼」は、肉の厚さも薄すぎず厚すぎず、味付けもしっかりしていて豚肉には最適の状態だと思います。ご飯と具のバランスも写真の通り肉多めで、つゆもしっかりめの味にあわせて少なめですがちょうど良い感じです。280円の価格も最安値で貧乏な我々は大きい評価を与えました。 2位の「松屋の豚めし」は、味は1位に比べて僅かの差しかありませんが、幾分弱めに感じる味付け(薄 味ではない)と店によってご飯と具の割合がばらつきがある感じで、値段290円ということもあって僅差で2位となりました。3位の「吉野家の豚丼」は味付けが牛丼のままで肉の厚さや味付けが「豚で牛をまねした」感じとなっていて、もう一歩の感が強いです。またご飯と具のバランスも肉が少なめでご飯が見えてしまっていて、印象の薄い味付けと相まって、ツユだくにする必要があり、価格も最高値の320円ということもあり3位となりました。その他のチェーンは通り道に無いので今回は外しました。しかし各社もっと頑張って、もっと美味しくしていただきたいと思います。 投稿時間 07:49 午前 火 - 6月 22, 2004量販店の秘密まあ秘密と言ってもいまさら誰でも知っているお話ですが、最近の大手カメラ系量販店や郊外型家電量販店などを回ると、値段が1円単位まで同じな事にお気付きの方も多いと思います。またポイント還元系の店ではそのポイント分が価格にきっちりと上乗せされてる商品群(デジカメなど)が有るのが実感されていると思います。はっきり言ってお買い得感が大幅に薄れてきているような気がするでしょう。
ではなぜこのような事態が起きたのでしょうか。それは「販売の主導権を量販店が握ったために、価格決定の主導権を失ったからです」。 えっ、なんか変な理屈だなあ、だって販売の主導権を握ったのなら、なんで値段を下げられないの?って思っている人が多いでしょう、ではバブルのころのようなお買い得な商品をなぜ見かけなくなったのでしょうか。それは、その当時の流通構造について考察する必要があります。 もともと、現在の家電量販店の多くは地方の小さいショップから始まったり、現金問屋系だったりした訳ですが、それらのショップの目玉はもともと「型遅れ商品」と「型落ち寸前商品」によって支えられていたのです。当時までの日本のメーカーの姿勢は全てのジャンルの商品を広くカバーして大量に生産して、系列のショップを中心に販売台数に応じたバックマージンを還元して売って行くという「販売戦略」をとっていました。この販売方法では、店頭に置いてもらう台数が販売数に直接に結びつくと考えられていたので、新製品を大量に予測生産して、販売店に置いてもらい、最終的に残った商品は仕切りを下げて出荷していました。また販売店も、製品を大量に仕入れる事による「バックマージン」をあてにして、最初から販売出来る数量を超えて発注をすることで、余剰になった分の製品を裏で量販店に流すことで、目標となる利益率を確保していたからです。実際、商品を最初だけプロパー価格で販売して、次の製品が登場する前までに次第に販売価格を下げて行き、最後にはディスカウントセールの目玉にして貰って売り切る戦略では、販売期間を通した全体の利益が確保できれば良かったのです。また、カメラ系の量販店では、メーカーが売れ残った商品を目玉セットに再パッケージングして大量に持ち込んでくるのが慣例となっていました。これらの横の流れの商品を力として量販店は成長してきた訳ですが、自身が流通の主導権を握った現在では、メーカーからの直接仕入れにより、それまでのショップと同じ立場に置かれてしまい、結局の所メーカー主導の価格体系に組み入れられてしまったのです。さて一方メーカーの側にも大きな変化が訪れています、それは「生産予定数量の下方見積」です。これは簡単に言えば「売れそうだと思う量より少なめに生産する」という事です。なんか変でしょう、これが販売予測が的確なおかげでそうなったなら偉いのですが、実際は「販売部門」が販売実績が目標を下回るのを恐れて、始めから目標を低めに設定して生産し、常に目標を達成出来るようにしたトリックなのです。パソコンなどは全ての製品を海外のメーカーにロットで生産を依頼している現状では、ほぼ4半期毎の発注時に少なめに生産予定をたてておき、不足するとその穴埋めはしないという作戦です。ゆえに新製品発売前の一時期、店頭から商品が薄くなる事も多いのです。おかげで納期はそこそこだが、「受注分」だけ「海外でオンデマンド生産」している「外国系直販メーカー」に大分シェアを食われてしまい、国内メーカーは「パソコンの家電化」にシフトしているのが現状です。この様なメーカー事情もあり、お買い得商品が供給されない現状では、生産量の少ない人気商品を各社で奪い合っているわけで、価格面での差はほとんど無くなってしまいました。また各社出店攻勢を掛けていたころは、新規店舗分の在庫発生による仕入れの増加が評価されて、資金面でも楽に運用できましたが、出店が飽和状態になってきた現在では、全社的な在庫の圧縮が最大の課題となっていて、ほとんどの商品の在庫を最短期間に調整するようになっています。おかげで自社内でも展示品でも無い限り、それほどの目玉商品は確保出来なくなっています。 さて、それではお買い得な事は全くないのでしょうか、いえいえ、普段から良く販売店毎の商品サイクルなどの特徴を掴んでおけば、少量のお買い得商品を確保出来る確立が高くなります。 また、こつはかならず値切ってみる事です、一般に「家電系量販店」は値切りが可能です、はじめから他店を意識して多少価格を高めに設定している場合が多いからです、必ず値切りましょう、しかし、しつこく値切るのは無駄です。価格面では2押しまでで、それからは作戦を変えて併せ買い値引か、おまけ戦略で行きましょう。あともうひとつのこつはまず一番安い物はどれなのかを聞きます、そうすると販売員としては一番安いものより少しでも上の商品を売りたいので、本命に色気を見せれば価格面で多少は譲歩してくれる場合が多いのです。またお店の人の薦める商品は「売れ筋」というよりは「売りたい筋商品」なので利幅がある程度あるので、これも値切っておきましょう。なんども言いますが、相手がせっかく一生懸命まけてくれているのに、原価を考えないしつこい値引要求は嫌われる元です。普段から相場を把握しておいて自身の納得出来る価格ならさっさと買い、だめなら、「高いから今回は無し」とはっきり言って名刺だけ貰っておきましょう、次回に期待です。なお「カメラ系」の量販店は値切れる店と値切れない店があり、「パソコン系」は値切れないのが普通です。最後に、各店共通のチラシが入るセールは掲載の目玉商品の一部以外は、お買い得が少ないのです。どちらかと言えば普段の雨の日の午後にでも値切った、店長決裁価格の方が安い場合が多いです、ご注意下さい。 投稿時間 09:19 午前 月 - 6月 21, 2004甘い誘惑一人暮らしの私は、いまさらわざわざ飯を炊く必要も無いので、レンジで温めるだけでよい「ご飯パック」を主食にしているわけで、その分ちゃんとおかずは作っている訳ですが、その「ご飯パック」をまとめ買いするために、隣町の「食料品ディスカウントショップ」まで足を伸ばしました。さてそこの駐車場で見た物は、今流行の「焼きたてメロンパン」の移動販売車と、行列して買いあさるオバさんの列でした。確かに小雨の駐車場に漂う「甘い香り」には並んでまで買うだけの十分な魅力があると思います。実際並んで買っているオバさん達は、平均3個位はまとめて買っています。1個120円で一回の焼き上がりで5〜60個は売るようで、聞いてみると1日に2カ所ほど回って合計で1日で500〜700個位は売るという事でした。販売をしていたのは若い人で、もう儲かって儲かって笑いが止まらないって風情でした。
しかし、私はそれを見て素直には喜べませんでした。なぜならば、この仕事はこれまでの各種フランチャイズ制の商売と同じに、開業時に結構な資金が掛っているだけでなく、冷凍で本部から仕入れなければならない「メロンパン生地」など仕入れのいわゆる「縛り」の問題があるからです。実際、「メロンパン」にしろ「揚げたてコロッケ」にしろ、販売している本人は最終行程の「焼く」、「揚げる」の部分だけを担当しているだけで、機材や原料など全てを本部から買い入れているわけで、本人達は「独立して開業した」と胸を張りますが、その実態は「自前で営業機材を買って」くれた「歩合制の営業社員」だからです。 本人曰く、「すべて本部がやってくれて、なんにも考えなくてもすむからこの商売にしたんだ」、だそうです。しかしこれまでのこの手の商売と同じに、苦難の時はひたひたと迫ってきています。もともと、デパ地下での焼きたてメロンパンの評判をパクって始めたこの商売も、お約束の同業者の乱立により、急速に競争相手が増えていて、さらにインストアのショップでも同様の販売を始めたところも有り、顧客の物珍しさからの購買意欲も急速に低下しつつ有るのが現状だからです。すでにその販売車の来ている店の近くの別の店の駐車場にも、別の業者の販売車が週2回出店するようになるそうで、遠からずこのエリアも飽和状態になるのは明らかです。 これまでも、「焼き鳥屋」、「たこ焼きや」、「クレープ」などフランチャイズの移動販売は、ごく一部を除いて、小金を貯めた「独立希望の素人」さん達を草狩り場とするおいしい商売だったのですが、それでもこれらの商売は、多少なりとも熟練を要する仕事なわけで、それに比べると、最近の商売は「揚げる」「焼く」だけと簡単になっているのが特徴で、以前に比べると本部への依存度は大変高くなっている訳です。また本人にとって、その仕事を継続していくことによる経験上の蓄積が全く無いのが気になります。 都内で話を聞いた、中年の脱サラ「メロンパン」販売の人も、儲かったのでローンで高級車を買ったと言っていたし、「甘い誘惑」の乗って脱サラした彼らが、自身の「甘い誘惑」に負けずに、この商売が下火になる前に借金を返し終わる事を祈るばかりです。 投稿時間 12:27 午前 土 - 6月 19, 2004モノクロームの誘惑このブログではほとんどの写真がモノクロームで掲載されています。実際の所ほとんどの写真はデジタルカメラや携帯電話(お〜びっくり)で撮影している訳で、当然カラーで撮影されているのですが、それなりの手間を掛けてモ
ノクローム画像に変換して掲載しています。この行為を単なる懐古趣味と取る人がいますが、私の考えはそれとは異なります。私も普段の仕事ではカラーの写真をあつかっているわけで、そのカラーゆえの情報量の多さから来る表現力の大きさを認めているわけですが、モノクロームの写真ではそのカラー情報が廃棄されている分、それに隠された対象物のディティールや、人物なら表情が純粋に抽出された状態で表現されていると思うからです。また光と影の持つグラデーション(諧調表現)の美しさもその魅力のひとつでしょう。さて、モノクロームに限らず写真の楽しみのひとつは「絵作り」にあると思います。以前は暗室に籠り現像機を使って印画紙に焼き付ける時に、切り抜いた紙や手などでマスクを作り、覆い焼きや焼き込みなどの操作をしながら、自分なりのオリジナルな絵作りをするのが普通でした。写真とはもともと真実を写した物ではありますが、実は撮影した時のフレーミングからして、既に撮影者の意図が反映した物であり、シャッターを押した瞬間から、その映像は「私の見る映像」であり「私の表現する物の素材」であるわけです。さらに幸せな事には、昔であれば大変な苦労をしていた暗室作業は、デジタル化された今では、自分のパソコン上の「PHOTO
SHOP」で思いのままに行う事が出来るようになりました。芸術系の写真家にとって、カメラが銀塩、デジタルの区別無く、「フォトショップ」と「モノクロ諧調インクが使えるEPSONの顔料系PXプリンター」の組み合わせは、いまや定番となっています。しかし面白い事にモノクロームの写真を評価するのにはある意味で先入観のない目が必要なのです。「絵画」や「写真」に何を視るのかはその人それぞれの感性が重要な役割をはたしているのです。ゆえに新鮮な感性をもった女子高生などが案外と本質を見抜く力を持っている場合が多いのです。しかし我ながら写真は下手だと自身の無力さを実感させられるのが現状です、まあこれからぼちぼちと頑張りますね。 投稿時間 03:28 午前 木 - 6月 17, 2004生きるという事一緒に歩いていた友達が突然道ばたで叫ぶ「新しい職場で皆に馬鹿にされてるのが我慢出来ない〜」、彼女の能力を考えると無理も無い事である。女性である事による差別、今日本で進みつつある「職種別カースト制」による差別、自身の収入では食べて行けない「親掛かりの若者」の存在を前提とした低賃金体系への移行など、彼女を取り巻く環境は、自身の収入のみで生活していかねばならない中年にさしかかった独身女性にとって大変辛い物にな
りつつある。ある雑居ビルの3階フロア、その片隅の事務所からの帰りに、以前良く行った店の前を通りかかったら、まだ開店前のドアが開いて、偶然顔を出してきたマスターが私に言う、「いつヤメようか迷っているうちに借金ばかりかさんでいる、もう戻れないが進む事も出来ない」、以前は活気があったこのビルも、所有会社の債務整理の対象となって売却されてからは、美容室やレストランに替わって、ヘルスやマッサージ、サラ金などが入り始め、普通の客の入りにくい環境になったことで、女性客が多かった彼の店はここ数年は赤字経営となっていた。多少はあった蓄えもすでに底をつき、いよいよ決心する時期になりつつあるようだ。この話の彼女も彼も、もうすぐ40代50代となり、今の日本ではまともな就職口は全くない。では以前はとりあえず再起する人々を受け入れていた「ガソリンスタンド」や「ファミレス」はセルフ化による人員減や、フリーターや主婦のように、自身の収入では食べていけなくても良い人達を対象とした超低賃金のせいで、いまや自立して生活して行くための職場としては機能していない。親も子も当てに出来ない単身生活者である彼らも(私も)、いずれは能力に見合った収入を得られなくなり、いずれ遠からず今の仕事を失い、低賃金の新しい仕事で僅かな蓄えも使い果たす消耗戦に突入する。そのときに我々を支えるはずの仕事であったはずの「トイレ掃除のおばさん」や「ビル掃除のおじさん」や「スタンドの夜間従業員」や「コンビニの深夜バイト」は、すでに前述の「食べて行く必要のない若者や主婦」に占領されていて、中高年単身生活者の入り込む余地はない。いま納めている国民年金では家賃も払えないのは解りきっている。つまり我々は、まず仕事の能力を過小評価されるようになり、その評価に見合った賃金体系に組み入れられ、その賃金体系下では当然年金納付や健保納付は不可能となり(現在の未納者はほぼ自営業と契約社員である)、家賃も払えないのでホームレスとなり、その日暮らしとなるのである。この事をしっかりと自覚していなければ、自身の生きる道をあやまる事になると思う。たかが数千万の蓄えではこの流れから逃げる事は出来ない。いまはまだ友達と飲み、サッカーを観、車を買い換え、温泉にも行く生活をしていても、50代も後半になる頃には、都市で生活する単身者にはもう生きて行く術は限られているのだ、われわれの一生はこのような物だということを自覚して、道ばたで死んで行く事を受け入れて行かねばならない、そういう時代に日本はなっている。 投稿時間 06:57 午前 火 - 6月 1, 2004デザインのチカラたまに見るテレビで素人さんがいろいろなお宝を評価して貰う番組がありますが、その中で西洋のアンティーク陶器や中国の青磁などを「一目で気に入って大枚叩いて」買って来て、結局は偽物や写しだったりする事が良く有ります。
![]() また、ハーレー乗りが集まる「オバカ集会兼鯨飲大会」である「ミーティング」の会場に出店している「安物銀もの屋」の商品でも、クロムハーツやビルウォールレザーやレナードカムホートなどの有名ブランドのデザインを模倣した物が良く売れて行きます。この2つの例で判るのは「デザインの力」という事です。骨董を「旦那買い」する人も、銀ものを「安物買い」する人もそれぞれ元になったオリジナルをほとんど見た事が無いはずですが、なぜそれを気に入ってしまうのでしょうか。 結局の所「オリジナリティ」のあるデザインのチカラは、悪意のある偽物からさえも弱いながらも魅惑の光を放っているのです。 投稿時間 08:41 午後 土 - 5月 22, 2004ビールの味今年になってから先輩の紹介で食事に寄っている居酒屋ではジョッキを冷凍庫でキンキンに、「冷やして」というより「凍らせて」あって、そこに麒麟の生を注いでだしてくれるのだが、これが不味い。冷え過ぎたジョッキの中では剥がれた氷片が表面に浮き泡は無惨にも消失し、苦みだけが際立った香りの無い液体が淀んでいるのである。周りを見ると日雇いの親爺や何が生業(なりわい)なのか不明な年配の客たちは「旨い旨い」と美味しそうに飲み干しているが
、大方の客は2杯目は焼酎になっているようである。もともとからのビール好きである私は、ほとんどどんな環境でも美味しくビールをいただいているのだが、この味だけは何となく得心がいかずに「微妙な苛立」を感じながらも、カウンターの端に居所を見つけて時々はその「ビール」を頼んでいた。しかし、その店も「まともな料理」も出ず、たいした「酒」もなく、あまりやる気の感じられない女将の甲斐性もとうとう尽きて、いよいよ閉店の運びとなったのがつい昨日のことである。その閉店の日、最後の一杯をやりに雨の中を店に足を運んでみれば、最後の日というのにどうということもなく、客は近所の年配客一人だけ、そこでなんとなくビールの話になり、その客が言うには、「最近のビールは馬の小便だ、やっぱり苦いキリンが一番だ、だいたいビールは最初の一杯だけが旨いのだ」と女将に向かって言い放ったのである。さてこの発言を受けての女将の言葉は「そうなのよ、最近の若いのはアサヒだの恵比寿だの言って、わたしゃキリンが昔っからあるんだからごちゃごちゃ言わずにそれ飲んでりゃいいのにって思うんだよねえ、まああたしゃビールは好きじゃないからどうでもいいんだけど」との事、さすがに驚いてしまうとともになにやら得心がいった次第である。私はもともと幼年期から少年期に「バー」を家業としていた家で育ったのに加えて、周りは水商売を家業とする友達に囲まれて育ったという事も有り、いわゆる酒飲みの話は色々と聞いて育って来たのだが、今回と同じような話をたびたび聞いてきたような気がするのである。この「苦いのがビール」という認識は、昭和の世代に特徴的な「とりあえずビール」という現象と密接な関係があるような気がするのである。もともと私の子供の頃から「麒麟のビール」は本来はバドワイザーのような味に仕上がるはずの材料(米、コーンスターチなどの副材料)を使っているので(子供時分、工場見学時確認済)、「軽いアメリカンな味」になってしまうビールを、ホップを利かせて無理矢理あのような味に仕上げているのではと感じていたので、あの酵母の香りの無い熱処理をした「苦み」のビールを美味いとは思えなかったのが本当の所である。 私の子供の頃といえば「吾妻橋のアサヒ工場付属のビアホール」の生ビールの味が基本であり、家業では「恵比寿ビール」を出していた訳で、どうもあの系統の味がしっくりする体質なのであろうか。また同じアサヒの古いタイプのビールを出してくれていた「灘コロンビア」の肌理の細かい泡が立った適温のビールを大きめのビアグラスで飲む美味しさは、一番私の心を癒してくれる一杯であった事を思い出したのである。また長年のバイク乗りである「私」は、皆が「馬の小便」と蔑む「バドワイザー」や「クアーズ」などのアメリカンビアも、晴れ渡った草原でのミーティングの会場で、大音量で響き渡る「ロック」の中で、汗をかきながら水代わりに飲み干すあの味もまた好みとするところである。 さてこの原稿は「上野駅構内にあるアイリッシュパブ」の壁に向いたカウンターの端で、アイリッシュビアの「キルケニー」を1パイント、わずかに冷えすぎの感はあるもクリーミーな泡の乗ったグラスで飲みながら書いている訳である。このように最近では駅のなかでもそれなりのビールを飲む事が出来るようになった訳で、バブルの申し子とはいえ、酵母の香りのする本来のビールの味を全国で知らしめた「地ビール」のおかげか、いわゆる「ビール好き」にとっては今更あの「高度成長期のビール」の味に戻れるはずも無いのは自明の理であると一人得心している次第である。なお私の最近の気に入りは「マーフィーズ」である、アイルランドでは一番ポピュラーなビールであるはずのこの商品が、なぜか国内ではあまり見かけられないのが残念ではあるが、最近は入手するのもインターネットのおかげで割合に容易になっているので、ぜひお試しいただきたいと思うわけである。 投稿時間 05:29 午後 木 - 5月 20, 2004褒める人貶す人とはいっても教育の話ではありません「デジカメ」の話です。私は若い頃にバイトでやっていた「写真」で食べて行くか悩んだ事が有り、結局は違う仕事の道に進んで行った訳ですが、その仕事を辞めるときに使っていた「CONTAX RTS」
を、仕事先の先生からいただいて以来、結局は仕事では「CONTAX RTS」や「RTSII」などを使ってきました。使い続けた理由はやはり「カール・ツァイスT*レンズ」の持つ描写力にあると思います。当時の国産レンズの「シャープ」さを第一とした設計とは違い、ナチュラルな色目と素直な描写力、人物撮影には大変魅力的な良いぼけ味を持つ、大変良いレンズだったからです。実際今でもそれらのカメラを使い続けていますし、最近ではレンジファインダーの「CONTAX G1」も使っています。さて、私の仕事での撮影も、最近は次第に「銀塩カメラ」から「デジタルカメラ」に比重が移って来たのに伴い、複数台の「デジカメ」を使用して仕事をするようになって来たのですが、「一眼デジカメ」は別として、小型機ではレンズも含めた光学系の弱さを痛感する事になりました。そこでネットの掲示板などで「レンズを含めた光学系重視」で小型のデジカメの情報を集めてみようと思い立ち「CONTAX」ブランドの数機種と、「CONTAX」ブランド以外ながら「カールツアイスレンズ」搭載の数機種、「ライカレンズ」搭載の数機種にしぼっていろいろな意見を聞いてみました。そこではっきりした事は、デジカメの機能に対する考え方の違いが「評価の基準を2分」しているという事実でした。まあ、簡単に言うと撮影した画像の評価に関して、光学系の持つ描写力をデジカメの性能として認めて「ほめる人」とまったく認めず「けなす人」に分かれる事でした。さて、何事も「ほめる」「けなす」には一定の法則があると思います。それは「ほめる人」は大体において、こちらの投げかけた質問の主意(今回の場合は光学系の評価)を理解して評価して「ほめる」場合が多く、「ほめない人」も事の本質を理解して否定している以上「ほめる人」と同質であるとして、「けなす人」はどうも投げかけた質問の主意が理解出来ず、全く異なった論点で評価した結論をもって「けなして」いる人が多いようです。例えば今回の例で言えば、「ほめる人」はデジカメの撮影したデータの持つ表現力に関する光学系の影響する点について「評価」してくれる人が多かったのですが、「けなす人」の場合は始めから主眼の「光学系」については全く評価せずに、「大きさが大きいから全くダメ」とか、「シャッターが落ちるのが遅いからダメ」とか「特定メーカーの製品は嫌いだからダメ」とかの、今回の論点とは全く異なった事で「全否定」してくることが多いようです。また「ほめる人」の場合は自身の感性での評価を根拠として評価する場合が多いようですが、「けなす人」の場合、その根拠が伝聞や風説に基づいた場合が多く「皆がそう評価しているから当然私もそう評価する」という考えの人が多いように思います。 この事から判るように「ほめる人」とは論点がかみ合った議論が出来ますが、「けなす人」の場合はハナから論点が理解出来ない人なので全く議論が噛み合ないという事です。結果「けなす人」の場合は議論をしようとしても感情的な反論がエスカレートする場合が多いようです。この点を理解すれば、日常のいろいろな事柄、例えば「国産信奉」と「外国産蔑視」に関する議論が噛み合ないことの理由もまた理解できると思います。結局の所「ほめる」には評価すべき点がなんであるかを「理解」している事が大事で、それが判らないでほめれば、相手の賛同も得られず、ただの「おべんちゃら」だと思われてしまうと言う事です。この事は皆さんも普段の生活で実感されていると思います。 投稿時間 05:36 午後 チキンラーメンは偉大であるチキンラーメンは偉大である、なぜならば今それを食べながら「大変満足」しているからである。おもえば子供の時はチキンラーメンはなにかあまり高級な感じがしないラーメンで、今になって考えると、チキンラーメンはどちらかといえば、クリマタストアで買ってきた「マルタイの棒ラーメン」や「うまかっちゃん」なんかの豚骨味や、エースコックの「
ワンタンめん」やマルちゃん「カレーうどん」や「「天ぷらそば」などの最下位に位置していたような記憶がある。おかげで家で食べた記憶はあまり無いのだ。しかし、しかし、いまこうやって食べてみるとだね、学生時代に、学校の前にあった怪しい店で出される「ラーメン」とはもろにこの「チキンラーメン」だったわけで、オバさんがかったるそうに丼に入れてお湯を掛けて出してくれたあの味、実家からの送金が途絶えて、パチンコの稼ぎで食っていた同級生が、景品で取ってきていて、遊びに行くとかならず出してくれた、鍋のまま出されたあの味、バーテン見習いの後輩が、下宿の3帖でこれがいちばんのごちそうだっていってご飯と一緒に鍋で煮ていたあの匂い、これらををまざまざと思い出したわけである。ああ、貧乏な酒飲みの若者の貴重な味方だったチキンラーメンは時代を超えて今でも皆に愛されている超定番商品として、日清食品の今期好決算をささえていると思うと感動した次第で、「チキンラーメンは偉大である」 投稿時間 04:52 午後 火 - 5月 18, 2004アキハバラの変容我々の世代では、秋葉原という地名は特別の響きを持っているといえます...
我々の世代では、秋葉原という地名は特別の響きを持っているといえます。学研の科学の付録に心ときめいた思いのある「カガク少年」にとって、当時ワレワレの実感していた実現可能な「夢」は、「あらゆる物の自らの手によっての創造」でした。つまりアトムのようなロボットを、スタートレックの宇宙船USSエンタープライズ号のような宇宙船を生み出すのは来るべき未来の中で生きる自分達「カガク少年」が大人になった「科学者」が支えるのだ、というのが子供達のなかに在るある種の共通意識だったのです。ちょうど真空管の時代が去り、トランジスターが主流となり、ICチップがOPアンプとして金属の丸い筐体から8本の足をはやした火星人のような形を現し始めたばかりのエレクトロニクス時代の幕開けに遭遇した我々にとって、新世代の「あらゆるモノ」を創造するための大事な「部品」の入手先である「アキハバラ」こそが当時の「カガク少年」の夢見る聖地だったのです。
私にとっても、小学校低学年の時にてくてくとお茶の水から歩いて行った「科学教材社」の工作キットからはすぐに卒業して、当時はまだガード下の1坪の店だった「九十九電気」で買った各種トランジスタや抵抗類で作り始めたラジオやアンプ、高学年になって、本田通商や若松通商で買った半導体で作ったいろいろなガジェット類、中学のころ初めて手に入れた外国製集積回路、その後に手に入れた初めての4ビットCPUとその周辺回路、九十九が今のビルになったころ地下で買った「アップルIIe」のコピーボードとCPU。 結局「アキバ」の近くの大学に入り、当時はジャンク屋だった「イケショップ」で買った部品で作ったミキサーやエフェクター類、ゲーム機メーカーの友達が横流ししたZ80でコンピュータを作るために部品を確保に通った「国際ラヂオ」、「秋月電子」。 初めて買ったまともなパソコン「CASIO FP1100」の聖地だった「和知電子」、お店の立ち上げがら出入りしていた「プラットホーム」、「コピープロテクト解除ソフト」を売っていたあやしい頃から知っている「ソフマップ」で、独立するために大事なバイクを売って作った金でマック買いに行った「安売りのDAV2号店」、と売り掛けで仕入れを快諾してくれた「和知電子」などの思い出が沢山ある「アキハバラ」なのです。 この思い出で判るように「アキハバラ」の主流はまず戦後すぐに闇市としての「部品屋」と「ジャンク屋」で始まり、昭和40年代のオーディオブームに乗って「アンプやAV機器を扱う専門店」(サトームセンやラオックス)が多くなり、そこから昭和50年代に「いわゆる白物(冷蔵庫や洗濯機)を扱う総合家電店」(石丸電気や南無線など)が出てきて、その隙間を縫って、昭和60年代になるとジャンク屋や部品屋から始まった「パソコン屋」が大量に発生、平成に入ってのパソコンブームに乗って既存店もパソコンショップに衣替えして現在に至っています。しかし現在の「秋葉原」で目立つのは、「ゲームキャラショップ」「ロリコン系ショップ」「コスプレ系ショップ」「エロ漫画同人誌ショップ」「フィギア(人形)ショップ」などのいわゆる「ヲたく系」のショップばかりです。もともと工学系のダサイ感じの客の目立つ「アキバ」でしたが、最近はもっと怪しいバランスの服装の「ヲ」の人で溢れかえっています。今や「アキハバラ」はサイバーパンクなエレクトロニクスの聖地から、「アニメヲタク」の聖地へと変貌しつつあるのです。これらのショップは大手カメラ系流通店との競争に負けた「小規模家電店」や競争激化の割にはパイの小さい「自作DOS/V機」から撤退した「自作ショップ」の後に大量に出店してきているのです。さらにこれらの店にくる「ヲ」の人のための「コスプレ」系の風俗店も大量に出店し始めています。さてこれらのショップ構成の変化と客層の変化がもたらすのはなにかといえば、いわゆる一般客の減少でしょう。特に街の雰囲気を支配している根本的な「方向性」というか「本質」にこれまでの「カガク系」の客層と「アニメヲタク系」に決定的な違いが見てとれます。それは、「創る人」と「消費する人」との本質的な社会的性格の違いです。部品を買い何かを作って行く、パソコンでソフトを作るそういった事を通して独創的な物作りを夢見ている「創る人」と、アニメのフィギアを高額で買い取りコレクションしたり、「有名漫画キャラを借りて描かれた同人誌」を収集したり、ゲームキャラに扮したりする「コスプレ」などの「消費する人」との違いは埋める事の出来ない深い溝が間に横たわっているのです。つまり「独創性」が一番と思っている「カガク系」と、正確な模倣が一番だと思っている「アニメヲタク系」との消費性格の違いが街の性格として現れ始めているのではないでしょうか。私は「アニメヲタク系」にも知り合いが多いので少しも悪い感情を持ってはいませんが、やはりなにかコレクター特有の内向きのエネルギーを大きく持っているようで、このあたりは集めるだけで創らない「骨董趣味」の人と全く同じです。つまり自分の興味の無い分野は全く無視するのが特徴で、ついでにほかの分野の店を覗くことなど全くあり得ません。この辺は「中野ブロードウェイ」の変容と同じで、コスプレショップの間のある機械時計の専門店などは軽蔑こそすれ、絶対に入店することはないのです。 このように「ヲタク系」ショップの台頭とそれによる「客層変化」による「ポイント移動のよそよそしい雰囲気」によって「アキハバラ」は壊滅していくと結論付ける人もいますが、私はそうは思いません。もともと「パソコンおたく」や「ゲームおたく」の横溢していた「アキハバラ」に元から生息しつつあった「アニメ・コスプレ・ロリ系ヲタク」が台頭してきたけれど、やはり戦後このかた底流をなしている「自作系」のショップは健在なわけで、この主流の違いは工学部の志願者減少や、芸術音楽系への蔑視などにみられる日本の「創造する人」への軽視風潮が反映しているだけの事だとおもいます。 いずれにしてもこれからの「アキハバラ」は時代を反映した変容を遂げながらも、何らかの「聖地」でありつづけることでしょう。 投稿時間 05:53 午後 携帯電話の高機能化次第に高機能化する携帯電話は...
私の使っている携帯電話はGPS対応で「音声ガイド付きのナビ」が可能、さらにカメラはメガピクセルでストロボ内蔵と最近のトレンドは一通り押さえた設計となっています。高機能になった最新のGPS機能を最大限に生かす電子コンパス内蔵機能は、初めて実用的な「ウォークナビ」を実現しています。またカメラ機能はホームページの記事作成にデジカメが不要になるほどの便利さで大変重宝しています。
このように新製品が続々と発売されているのを見ると、携帯業界は我が世の春だと思っている人も多い事でしょう。では、本当の現状はどうなんでしょうか? 実は携帯端末は高機能化に伴い実にリスクの多い商品になりつつあります。現にソニーの米国市場からの撤退、日立とカシオの携帯部門の統合など、収益性の改善と、競争力の強化が各社な課題となっています。 ではどのような問題があるのでしょうか。リストにしてみました。 ●端末は高機能化されていくが、デジカメなどの付加機能部分の開発コストは通話料などで回収できる性格のものではないので、現状はキャリア各社からの補助金で補ってはいても、結局は端末製造業者の負担になる。 ●高解像度の画像やムービー、テレビ電話などの機能を生かすには、パケット通信料の大幅な引き下げが必要だけれど、現実にはキャリアー各社にとっては、収益をここであげている以上なかなか下げるわけにはいかないところで、結局ユーザーが高いパケット代を負担するはずも無い以上、目新しい機能であっても利用率は低くなってしまう。 ●最近の携帯は高機能化に伴って、ソフトウェアの比率が高くなっていてそれだけバグの発生する確率も高くなり、発売後に発覚した場合の回収改変費用が膨大な物になる場合が多い。 ●モデルチェンジのインターバルが短く、製造上のコストがあまり下がらない。 このような理由で、新機能追加ラッシュであっても、そのコストを負担を誰がするのかというビジネス上のモデルが確立されていないのではないでしょうか。負担先がはっきりしないまま疾走する高機能競争は、いまだにユーザー全体の支持を得られるような機能と費用のバランスを得ていないというのが本当の姿でしょう。その上での機能競争は各端末メーカーにとっては一種の消耗戦と化しています。 投稿時間 05:52 午後 土 - 5月 15, 2004国民年金を払わせないのは誰だ国民年金の未払い問題がマスコミをにぎわせています...
国民年金の未払い問題がマスコミをにぎわせています。早朝のニュースバラエティ番組では訳知り顔のコメンテーターが、「払わないやつには罰則をもって厳正に臨むべき」だとか「払わないのは犯罪だ」などと吠えていますが、さて、国民年金の対象者ってどういった人たちなの?この質問をしてみると、サラリーマンや公務員の人たちはほとんどこう答えます「商売をやってる自営業者」。答えは「ブー」、はずれです。答えは、「サラリーマン」、「失業者」、「店員さん」、「作業員」、「バツイチのパートさん」、「フリーター」「大学生」、そして「自営業者」とその他です。
「なにいサラリーマン、おかしいじゃないか、俺もサラリーマンだけどちゃんと厚生年金加入してるぞ」って必ず突っ込みがあると思いますが、そういった方の勤務先ははっきり言って「大手企業の正社員」か「親切な経営者のいる企業」なのです。いまや、普通の企業でも、勤務する従業員の多くが契約社員やアルバイト、パートなどで構成されていて、企業のコストダウンに大きく貢献しているのです。さて、ではこういった声も聞かれるでしょう、「でも、ちゃんと給料貰ってるんだから、払うのがあたりまえだろう」ってね。「ブー」またまた不正解です。さて、あなたの会社のロビーを掃除しているおばさん達はあなたの会社がアウトソーシングした清掃会社の人ですよね。彼女達の給料を知ってますか?また、定年を迎えて職場を去って行った「先輩」は今、あなたも利用している駅前の駐車場に勤めていますが、彼の給料をしってますか?あなの息子さんは大学を出て3年も経つのに、いまだにバイトで食べてるようですが、彼の年収を聞いたことがありますか?、お隣のお嬢さんは広告代理店にクリエーターとして勤務していますが、いくら貰ってるかしってますか? 実は、日本の「母子家庭の平均月収」は平成16年5月現在、14万円を切っています。フリーターの月収もほぼ同様です。中小企業の従業員さんは年齢に関わらず月収が20万行かない場合がほとんどです。かれらはもう何年も同じ会社に勤務していわけで、実質的に「サラリーマン」であって「自営業者」ではありませんよね。さらに「失業者」です、日本では「雇用保険の有る会社」を離職して、雇用保険の給付を受けている状態の人を基本的に「失業者」といっていますが、ここで言ってるのは「ほんとうの失業者」のことです。障害認定の出るほどではないが体を悪くして仕事が見つからない人や、介護する親を抱えてパートに出る事もなかなか出来ない独身の息子やそのたもろもろの事情で継続的な就業が不可能な人達のことです。いまや若者や高齢者層の就業形態はドラスティックに変容しつつある訳で、これらの原因の一つには、雇用側の企業による「人件費圧縮政策」に基づく「各種保険、年金の企業負担回避作戦」にあることは間違いの無い事実です。たとえば「コンビニのアルバイト」さんですが、大手でも、継続的な雇用は認めない政策をとっています。実は深夜のバイトなどはなかなか定着してもらうのが大変なんですが、本部からは「同じ人はなるべく継続させない事」といった指導を受けます。これは、雇用保険を含む各種保険の負担を回避するためです。当然年金などありません。 ファミレスやスーパーなどのお掃除やメンテナンスの人達は、自社社員がほとんどでしたが、業界団体などの主催のセミナーなどで、いろいろな手法が指導されているためか、一度子会社に移籍させて、「勤務年数に依存する退職金」をちゃらにしておき、今度は「子会社から全員形式的に解雇」して、年俸制による下請け外注化を推進しているため、彼らは大工さんなどの職人さんと同じに「自営業者」となっています、そうです、年収200万以下、実質的には給与所得者でありながら形式上「自営業者」の人々が大量に生まれているのが現状なのです。また雇用する側の提示する収入はよく考えられている金額です、ほぼ「親」や「息子」と同居していて、脛を齧ることを前提としていて、アジア的な家族でもたれ合って生活して行くしかない給与体系となっています。企業が決めるこの給与計画の中には健保を支払うことは前提となっていても、年金を払う余裕を認めてはいない、生かさず殺さずの金額なのです。 例えば、27才で離婚して17才の高校生を抱える40才母子家庭の場合、大手チェーン店のパートさんとしての月収が手取り15万円、スナックでのアルバイトの手取りが5万、合計20万ですが、支出は家賃が7万、学費などが3万、光熱費などが1万、食費や服飾費などが7万で国民健康保険を払うと、年金を払う余裕はありません。とりあえず免除申請をしても、永遠に後納できるわけではないので、年金受給は不可能です。こんな状況になっているのにどうやって年金制度を維持して行くのか、謎は深まるばかりです。 投稿時間 05:45 午後 ヲタクのファッションさて、「ヲタク」のファッションと言えば...
さて、「ヲタク」のファッションと言えば以前は「黒の学生風のズボン」にやたら長めの「おっさん臭い穴無しのベルト」、「白のワイシャツ」とスニーカー、「マジソンスクエア」のスポーツバッグのループを肩に掛け、薄茶の2重にした紙袋に大荷物を入れている、眼鏡七三分けの青白い顔の男、冬はダッフルコートを着用場合もあり秋葉原付近に多数生息する。または、変な切り返しのついたケミカルウォッシュのジーンズに、キャラクターTシャツまたはトレーナーという感じでした。
しかし最近は黒の編み上げブーツにカーキか迷彩のカーゴパンツ、ゲーム系のプリントTシャツにミリタリー系のジャンパーか、ストライプのTシャツの上にプリントタンクトップ、指の無い革手袋をしてGショックを装着、長髪を後ろで束ねて、丸眼鏡(サングラスも有り)とか、アーミーパンツに合成皮革のライダースなんてのもあって、昔のイメージに比べると大分カラフルになって来ている感じがします。さて、ではなぜ彼らのファッションが変わって来たのか考察してみましょう。 もともとの「ヲタク」のファッションとは、簡単に言えば「学生服」の上着を脱いだ状態であり、あるいは母親が近くのスーパーなどで価格優先で適当に買って与えた物を適当に着ている、というのが本当の所であって、これは取り立てて「ヲタク」のファッションというよりは、当時の国立大学の工学部の学生などの標準的な格好だったと思います。つまり昔の「ヲタク」は工学系の人々の一部をさしていたのです。思えば当時のお勉強命の田舎出身の大学生は、彼女が欲しいって色気は人一倍あったくせに、自身の格好について頓着するのはなにか妙な自尊心が邪魔するのか全く否定していて、とにかくダサイのが普通でした。しかし最近の工学部の学生は全くそんな事も無く、かといって「ヲタク」とは異なってまあ普通の若者のファッションをしています。では現在の「ヲタク」のファッションの源泉は何処にあるのでしょうか、それは「アニメの登場人物」と「ゲームの登場人物」なのです。実際、現在の「ヲタク」に占める工学系の割合は低く、どちらかと言えば「コア」な人達は大学などには進学していない場合が多く、ある意味で「アニメ」や「ゲーム」を生活の中心にとらえている人が多いようです。彼らは自身を「アニメ」や「ゲーム」に登場するキャラクターに擬する事を好むので、自然とそれらしいファッションになっていくようです。しかし、現在は一般の若者にとって「漫画」や「アニメ」、「ゲーム」などは有って当たり前で取り立て興味のある事では無くなっています。そのためによけいに「ヲタク」の若者と「普通」の若者との生活には乖離が起きている状況ですが、普通の若者にとっては「漫画」や「アニメ」、「ゲーム」は前述の通り有ってあたりまえの空気のようなものなので、ある意味「ライトなコスプレ」である「ヲタク」ファッションを街で見かけても、免疫が有ってそれほど違和感を感じないのが現状です。 投稿時間 05:35 午後 金 - 5月 14, 2004アウトレットモールに明日はあるか?ぞくぞくとオープンするアウトレットモール...
先日も千葉の山中に新しいアウトレットモールがオープンし、現在、首都圏だけでもかなりの数のモールが営業している事になります。実は私も以前から金沢八景にある「三井アウトレットパーク・横浜ベイサイドマリーナ」をよく利用させていただいています。エディバウアー、ナイキ、リーバイス、ミシェルクラン、ユナイテッドアローズなどのショップがあり、自分用や女友達のプレゼントなどに大変重宝しています。またここはヨットハーバーに面したレストランの多くが「犬連れでのテラス利用」が出来る(当然テーブルチェックが可能)ので、犬連れで歩いている私には
大変助かる場所です。客層も落ち着いた感じで、リラックスしたショッピングを楽しんでいます。
さて最近、都内の友達とドライブついでに、都下の数件のアウトレットモールを訪れてみて、気になったことがあります。 それは、モール毎の客層の大きな違いとショップ構成の違いについてです。たとえば駅前モールである、「ラ・フェット多摩 南大沢」では、ジャージの上下にサンダル履きの子連れファミリーと、流行の犬種をだっこしたお水系のおばさま達が、通路を歩くのが困難なほどにたむろしている光景は、とても「横浜ベイサイドマリーナ」と同じ三井の経営のモールとは思えない違いです。実際ここのショップ構成は「コーチ」などのファクトリーアウトレットショップもちゃんとそろっているのにも関わらず外の混雑ほどにはショップの中は空いている感じがします。この客層の違いも南町田の「グランベリーモール」になるとモール側も理解しているのか、ファクトリーアウトレットショップはほとんどなく、期待の「REI」も早々に撤退してしまい、GAPにしろコムサイズムにしろ郊外型のショッピングセンターそのものでアウトレットではありません。お客様の構成も、町田あたりの新郊外型ファミリーと派手なバンに乗ってきたヤンママファミリーが目立って増えて、しつけの悪いガキどもとしつけの悪い犬どもが走り回る混沌とした状況になっています。 まあこれだけアウトレットモールが増えれば、もともとちゃんとしたマーチャンダイジングに基づいた適正な品質管理と販売計画をもった大手ブランドメーカーにそれほどアウトレット商品がある訳も無く、十分な商品を各モールに供給する事など不可能な事であるのは自明の事だとおもいます。実際、ショップの中にはこういったアウトレット用にわざわざ商品を開発供給している所が多いのも業界では常識となっているのも事実です。 さらにこれが最初にちょっと書いた千葉のアウトレットモールである「アウトレットコンサート長柄」に至っては、アウトレットと名乗っていても実際にはファクトリーアウトレットショップはほとんどなく、いわゆるリテール型ショップ(つまり駅ビルなんかに入ってるような安めのショップ)を中心にする事を自社のニュースリリースで強調しているわけで、ある意味居直った状況での開業となりました。観覧車や遊園地的な要素を取り入れての構成も、ファミリー狙いとなっていますが、実際はアイスクリームを食べているヤンママ家族ばかりが目立つ状況で、もっと都心に近い場所に「ららぽーと」という強敵がある状態では、若い女性という一番の重要な客層を期待する事はショップ構成や立地条件から見ても難しいとおもいます。 倒産した長崎屋系の僻地型ショッピングセンターと大差ない状態となりつつあるアウトレットモールに十分な収益をあげていける見通しはあまりないと思いながら、ショッピングをしているこのごろです。 投稿時間 05:43 午後 木 - 5月 13, 2004コンビニエンスストアの憂鬱コンビニの悩みとは...
どこにでもあり、ほとんどの都会生活者にとって生活の中で絶対に必要なものとなった「コンビニエンスストア」ですが、利用者は最近のコンビニには微妙ないらだちを感じているようです。それは「商品が選べない」と「定番が無い」ということです。「コンピニ」の商品は各種商品の人気上位3種類のみが棚に生き残るような苛烈な競争戦略の元に供給されている事は、いまや皆さんもご存知の事でしょう、これが目先を変える自社企画の新商品ラッシュと相まって、「定番無し」と「商品無し」になっている原因であることには異論のないところですが、最近の微妙な不満の増大は実はほかにも原因があるようです。それは最近法改正に伴って多くのコンビニで始まった「酒類の販売」が原因になっているのです。
実際ほとんどの「酒類販売」を行っている店舗では従来に比べて、「飲料」の棚の面積は大幅に減少している事が判るとおもいます。さらにその皺寄せは「ファミリー向けアイスクリーム製品」や「ドッグフード」や「トイレットペーパー」などの雑貨の棚にまで影響を与えています。 コンビニにとって「飲料商品」はもっとも大事な商品であることは、ほとんどの店で店外に自販機を置かないことからも判るとおもいます。お客様は漠然と「飲料」を買いにはいってきますが、結局ほかの商品も購入する事が多いので、入店の十分な動機付けとなる「選択枝」の多さと自分なりのこだわりをもった「商品選択」が難しい現状では、とくに若い女性に不満が多くなってきています。またコンビニで売れる「アルコール飲料」はほぼ缶酎ハイが主流で、買って行く層も独身で単身居住のフリーターを中心とした若い男性が主流で、買って行く本数もせいぜい1〜2本に留まっているのが現状です。まあ単価、利益率ともに既存の商品と大差ないのですが、棚の大きな部分を特定の購買層に限定してしまった現状では、床面積の有効利用が命のコンビニにとって、売り上げ減少の微妙な遠因となっているのが現在の状況です。 投稿時間 05:28 午後 水 - 5月 12, 2004都会的な事都会のイメージを構成する物は...
都会的な事....
ペイヴメントの下水溝から路上に吹き出す暖房スチームの排蒸気に霞む冬の夜の街灯の灯。 黄昏時のオフィスの回転ドアの外、行き交うタクシー黄色い波間に見え隠れする道向こうのバーの窓の中、カウンターにもたれかかるコートを着たままのカップルの影。 深夜、仕事の帰りに向かう高架鉄道の駅手前の角のダイナーの窓、手の付けていないアップルパイ一切れと、お代わり自由のコーヒーカップを弄びながら所在なげな若い女性の姿。 このような都会の風景イメージは、実際毎日のように新聞に折り込まれるマンションのチラシ、TVのCM、ファッション誌のグラビアなど、いろいろな広告媒体の中に日常的に見かける事が出来ます。 では、このようなイメージは何時われわれの中で都会的な物として認知されるようになったのでしょうか。実はこれらのイメージを支える重要な「都会的なキーワード」があります。 「深夜営業のコーヒーショップ(ダイナー)」、「高架を走る通勤電車」、「地下鉄」、「働く女性」、「バー」、「摩天楼(高層ビル)」、「疾走するパトロールカー」、「通勤に使う自家用車」などのキーワードが体現する「都会生活」は実はほとんどが戦前のニューヨークで完成された、ニューヨーカーの生活を表現したイメージなのです。 また、当時のパリ、ベルリンなどの都市、規模は小さいながらも帝都東京のイメージでもありました。 これらのイメージを、我々の前に最初に提示したのは、やはりアメリカの小説やそれらを原作とした映画などでしょう。戦前から戦後に書かれた都会を舞台にしたいろいろな小説が、日本にも翻訳されて大量に入ってきた昭和20〜30年代、実際すでにこれらのイメージはほとんどの読者に具体的な「都会的な事」として認知されていたようです。特にこれらのイメージはいくつかのミステリーシリーズの背景として重要な意味を持つものでした。 実際、「E.S.ガードナー」原作の「弁護士ペリーメイスン」シリーズや「検事ダグ・セルヴィ」シリーズなどの背景にはまさにこれらの「都会生活に特有な」イメージが重要なキーワードとなっています。1960年代に日本でもTV放映されたことで覚えている方も多い「弁護士ペリーメイスン」シリーズは戦後の割合に早い時期から「ハヤカワミステリ」シリーズで大量に翻訳刊行されています。私もこのシリーズを神保町の古書店「東京泰文社」で買っては通勤の楽しみとして読んでいましたが、何冊も読んでいるうちに翻訳された文章にある「違和感」を覚えるようになってきました。それは重要な登場人物である探偵のポールドレイクが深夜のオフィスで食べる冷えてまずい「ひき肉を挟んだサンドイッチ」や「ペリーメイスン」が美人秘書の「デラ・ストリート」(この2人がいつ結婚するかが戦前戦後にまたがるこのシリーズの長い刊行期間の最大の話題だった)とレストランで食べる「ヒレ肉のステーキ」の名称などの、生活上のディティールについてです。皆さんももう気付いたと思いますが、「ひき肉を挟んだサンドイッチ」はハンバーガーの事で「ヒレ肉のステーキ」とは「フィレミニヨン」の事です。これらの小説が翻訳された時点では、日本人の訳者にはこれらの物を知らなかったか、読者が知らないと思っての意訳となったのでしょう、実際これを読んだ当時の日本の読者には」、これらの物の名前から具体的なイメージを喚起される事はなかったでしょう、昭和30年代の日本には、極めて局所的にしかこれらを見かける事ができませんでしたから。さらに当時の大部分の読者にとって実感がなかったのは、もっとも都会的な部分「24時間営業の店」や「働く有能な女性」、「ファーストフード」、「離婚問題」、「オフィスの恋愛」、「自家用車で通勤する女性」、「オフィスに響き渡るタイプの音」などでしょう。これらの事が実際に自分の事として実感され、小説の提示する「都会的なシチュエーション」が自らの事として理解されるようになったのは、ごく最近のことですから。 投稿時間 05:20 午後 月 - 5月 10, 2004吉野家の失敗吉野家の失敗は牛から豚への転換にあったっての味が...
最近のことですが、近所の吉野家に弁当を買いにいってみて、全く客がいないのには驚きました。たしかに先日の新聞に吉野家の売り上げが3割も落ち込んだとの報道がありましたが、ここまでとは思いませんでした。「米国産牛肉でなければ、牛丼は出来ない」と大見得を切って、吉野家をはじめとして各社とも一斉に牛丼の販売を中止したのはご存知の通りですが、この全く不思議な一斉行動にも、なにやらきな臭い裏がある事が「ハンナン」問題の報道からちらほらと真相が垣間見えてきたところです。結局の所、OGビーフなどの代替となる輸入肉などほとんど検討もせずに行った「中止宣言」も、仕入れの7割を握る「ハンナン」と「農水省」の輸入再開パフォーマンスにまんまと乗せられての結果であれば、櫓に上った所で梯子を外されたも同然といえます。
しかし、各社同じように牛丼販売を中止したあとの売り上げに差が出てきた事に関しては、各社が競って代替品として投入した「豚」関連の丼や「カレー物」に人気の差が歴然と表れ始めてた事が直接の理由であると思います。 吉野家といえばCMにもある通りに「牛丼一筋」が売りの店で、「牛丼」では味、価格ともに他社を大きく引き離すブランドであった事は誰もが認めるところでしょう。しかしそれが今回は災いして、競合他社がメニューの多様化に本格的に取り組んできたのと違い、今回の新メニューはいかにも急場凌ぎの感があるのは否めません。現在の主力製品である「豚丼」に関しても、本来は「鶏」関連商品を主力に据えるつもりが、例の鳥インフルエンザの影響で急遽登場したように見えます。 さて、今回初めて「豚丼」を食べてみて感じた事ははっきり言って「物足りない」の一言です。まるで「牛丼」の肉を「豚」に替えただけの物で、牛ならおいしいはずの薄い肉も豚ではある程度の厚みなければ、うまみが出ないのは料理人なら常識のはず、味付けも豚相手ではやや物足りない感じで、「松屋」などに比べての完成度が低い事が今回の苦戦の最大の原因だとおもいます。早期の改良がなければ顧客離れはいっそう加速することは必至でしょう。 投稿時間 05:27 午後 |